漫画感想/さよなら絵梨(藤本タツキ)





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藤本タツキの作家性を前面に押し出した珠玉の読み切り

 

『チェンソーマン』の藤本タツキ先生の『ルックバック』後の読み切り『さよなら絵梨』の単行本が発売されました。単行本1冊、200ページの傑作です。

同じアングルで大きさのコマの連続が多用されています。いままでもそういう映画っぽい表現を使ってきましたが、今回は映画がテーマに使われており、効果的に表現されています。主人公が撮影したものを、読者はそのまま浴びる事になり、その目線がどういうものであったか、ダイレクトに感じ取ることができます。主人公から見た母親や絵梨、そして違う視点から見た母親や絵梨。映像とは、映画とはどういう意味を持つのか、改めて考えさせられるポイントです。

一つ前の作品『ルックバック』が、思想性強めの作品だったこともあり、『チェンソーマン』2期を始める前に、作家性をリセットさせるような意図があった気もします。作中後半で、主人公の作った映画で泣かされた生徒たちは、『ルックバック』に感銘を受けた私たち読者です。しかし絵梨は”在り来たり”と指摘し、物語はそのままでは終わりません。在り来たりではなく、読者の思考の外にあるラストが訪れます。タツキ先生だったら、しっとりと涙の余韻を残したまま、考えさせられるエンドも迎えられたはずです。しかし、物語の予定調和を拒み、理屈や感情を超えた結末を選びました。それは、きっと“その方が面白いから”です。藤本タツキという作家の、アイデンティティーはここにあるのではないでしょうか。

 

チラシ裏のコーナー
タツキ先生、ちょい年上ヒロインと映画見るの好き過ぎるでしょ。

 

 

 

 

 





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