まず懺悔しなければいけないことがある。
私は、読み切り版『聲の形』が雑誌に掲載されたとき、
敬遠してしまった。
いろいろ理由はあったが、
とりわけ障碍者を取り扱ったため
「気楽に」楽しめる作品ではないと判断してしまった。
自分にとって漫画雑誌は、仕事や生活の合間で
気楽に読め、楽しむための娯楽だった。
いろいろ話題にはなっているのが、
その気楽な娯楽という枠に入らず、
かといって単行本を読むでもなく通り過ぎて行った。
『聲の形』連載中、様々な場面で、
こういう話だ、このエピソードが、この展開が
など目にする機会があった。
が、おそらく意識的に見ない様にしてきた気がする。
そして、劇場版が公開された。
あの京都アニメーション、山田尚子監督、出演陣。
見ない理由はなかった。
あるとすれば一度敬遠した作品だったということだった。
しかし後者のそれが、重くのしかかり
ただでさえ重い腰をなおさら重くした。
きっかけは友人が逢うことだった。
「そういえば『聲の形』見た?まだだったら見ようよ」
私がそこまでに経過してきたものを知らずかさらりと口にした。
公開から2週経った日曜日、満員の映画館に、私は居た。
感想のようなものは、蛇足に近い。
アニメーションでありながら、実写に近いピントワーク。
出演者の生に近い演技。それでありながらアニメーションの
かわいらしさ、山田監督特有の脚描写。
素晴らしさを語るとどこまでも文字数を使うことができるが、
やはり、これは見てほしい。
見てもらって、見た人と話したい。
どこが気になったか、あのシーンでどう思ったか、
どの人物が好きか、どの人物が嫌いか。
相手の顔を見てしっかりと、
お互いの気持ちを聲にしたくなる、そんな映画でした。
One comment to “映画『聲の形』に立ち向かうまで”
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