昨年、塙さんが出した集英社新書『言い訳』です。M-1で第一期後半では決勝常連ながらも惜しくも優勝を逃し続けてきたナイツ。自らを「笑い脳」という病だ、といいずっとお笑いについて考え続けてきた塙さんが、M-1を余すところなく語った新書です。「コント漫才は、不利ですか?」「M-1は競技漫才だという批判に対しては、どう思いますか?」など一問一答形式で、M-1に切り込んでいきます。
M-1一回大会から時系列で、塙さんの感じた事、チャレンジしてゆく様が描かれています。漫才を紐解きながら、副題になっている「関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」を究明しており、関東と関西の文化の違い、関西弁の持つ”強さ”について言及していきます。ハライチ岩井さんの「M-1は古典落語の大会」発言に解説を加えたり、マジカルラブリーやトム・ブラウンのネタは”漫才”だったのか?など、審査員塙からの目線からも語られています。とにかく、詳細に、真っ直ぐに漫才とM-1を語っており、塙さんの愛を感じます。確かにこれだけ好きじゃなかったら、あのプレッシャーすさまじい審査員なんか受けないよなぁ。逆に言うと、これだけ漫才とM-1のこと好きで知り尽くしてないと審査員できないんだ、と思うと他に誰ができるんだよ、、という気もします。
塙さんは、ヤホ―漫才が出来た時「とんでもなく面白いネタが出来たと思った」そうです。しかし始めネタ見せでは芳しくない反応でした。自信があるから事務所に逆らってライブにかけたらウケて事務所の人の反応も変わった。このエピソードで、オードリーのズレ漫才が出来た時を思い出しました。若林さんがズレ漫才を思いついた時「売れちゃうな」と思ったが、最初ネタ見せでは良い反応をもらえなかった。仲の良いスタッフさんにも「それはいばらの道だよ」と言われた。それでも続けた中、渡辺正行さんのネタ見せ会で見初められ「そのネタを磨いていこう」と、ブラッシュアップさせていく、、、。外の評価は必ずしも正しいわけではなく、自分が面白いと思ったネタを信じる話は、どの芸人にもあるのかもしれません。
『たりないふたり』ファンなら、南海キャンディーズとオードリーの話題が出てくる後半が面白いかもしれません。第六章のサブタイトルは「革命 南キャンは子守歌、オードリーはジャズ」です。これはタイトルだけでもワクワクするでしょう。「ボケが華」の時代にツッコミで笑いをかっさらうやり方を編み出した山里さん。キャラ漫才は評価されないM-1でも、ズレ漫才という圧倒的なインパクトで突き抜け、本番中に噛むことすらアドリブで大爆笑に持っていったオードリー。オードリーの漫才はどれも大好きですが、「噛んでんじゃねぇよ!」「お前が何とかしろよ!」「できねーよ。これなんとかできたら、もっと最初から来れるだろ決勝に!」は、特に脳裏に焼き付いて離れません。そこだけ何度も見たくなるドライブ感があります。また、『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』でカミナリが今後M-1に出場するべきか相談する回がありましたが、本書にはすでに回答が書かれています。Q88 オードリーは引き際が見事でした にはどつき漫才のカミナリが同じくシステムが飽きられてしまう例として書かれています。芸人は消耗品であり、M-1は強烈なソフトだけに消費するスピードもめちゃくちゃ早い、と。
「誕生から2018年までのM-1」を語るならこれ一冊で済む副読本でありながら、M-1だけでなく、漫才・ネタの在り方を総括しており、お笑い好きなら必読の一冊。