漫画感想/失恋ショコラティエ 9巻(水城せとな)





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昨年ドラマ化した大人気作「失恋ショコラティエ」の最終9巻が発売されました。待ちに待った最終巻です。サエコとソータだけでなく、周りの人々も動き出します。各自の思いを胸に、物語はどう幕を閉じるのか、、、。

以下、ネタバレも含まれる感想になります。サエコと別れ、えれなの元に戻るという結末、それでもサエコとの恋愛は無駄ではなかったという肯定での終わり方は、物語としてはベタで予想範囲内のことではありました。あとがきでも「最後を決めてから書き始めた」旨を水城先生が示唆していました。作者が着地点を決めて作った作品は、展開が読みやすい傾向にあります。物語は「テーマのモノ(スポーツ、仕事、恋愛など)で成功をおさめる」か「テーマのモノではだめだったけど、それによって人間的に成長した」という流れがテンプレートであるからです。この作品のテーマは紛れもなく恋愛、いや失恋でした。主人公ソータは1巻時点では、失恋をできていませんでした。それを「失恋する」と決意し、しっかり失恋するために行動し出した。そういう人間的成長とショコラティエの仕事をリンクさせて魅せる演出が多くの読者の心をつかんだように思えます。おそらく作者の意図するところだと思いますが、この作品はキャラクターの表情にあまり種類を持たせていません。また、微妙ななんともいえない表情をさせたり、大事な場面でキャラクターの顔を写さなかったりします。これは、キャラの表情や感情を読者に想像してもらい、解釈の余地を残すための表現です。多くの読者は、「この時、このキャラはどんな顔をしているだろう」「自分だったらどう感じるだろう」「今までの人生でこういう状況になった時があっただろうか」
などといろいろ想像します。キャラの表情、感情の話だったはずなのに気が付くと自分の人生について意識が飛んでいます。読者はみな、ソータであり、サエコであるのです。王道を外さないストーリーと表情がプレーンなキャラクターはそういう意図があるのではないでしょうか。(余談ですが、水城先生ほどの方ならいくらでも読者の予想を外すような展開にできたはずです。本作ではそれを敢えてやらなかったのだと思います。)
漫画は、必ずしもそのキャラクターや世界に感情移入して読むものではないと、私は思っています。ただ、本作の巧みな演出を前にして私のスタンスは無意味です。「失恋ショコラティエはあなたの感情をすべて注いで読んでください」そんな声が聞こえるような、そんな作品です。みなさんも自分の記憶を抱いて読んでみてはいかがでしょうか。

 

 

 





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